ボディーワーク 

不調の訴え改善、日常生活の動作改善、スポーツや音楽のパフォーマンス向上、障害を持つお子様へのサポート、老化を遅らせる為のサポート

ロルフィング

安定した身体を造る ロルフィングの個人セッション


身体の重さに沿って無理の無い様にバランスを整えると、普段の立ち居振る舞いの中で、身体の一部分に集まって来る負荷( 膝痛、腰痛、肩痛、首痛、e.t.c. の原因になります) が分散され偏ったストレスから解放されます。

偏った力のかかり方、又は、力が偏ってしまう様な形、姿勢、動作の癖が、身体の一部に負担を集中させ、違和感や痛みの原因となります。

それは、骨、関節、筋肉、内臓、神経、何であれ同じ事なのです。

もし、原因となる集中されたストレス、が無くなれば、その結果として起きている違和感は存在理由が無くなります。

ただしストレス自体の原因は、身体に現れる以前に心理的なことが多いので、身体的ストレスが解けても、心理的なストレスが残っている場合は、身体的な現れを余儀なくします。

心理的なストレスが肉体表現を得て具体化し、持続、慢性化させるのですから、逆に捉えると身体的にストレスを解く事が、ストレスを維持せずに流してしまえる可能性を開いてくれます。

無理の無い、無駄の無い立ち居振る舞いは、負担を抱えて、痛みを抱えた立ち居振る舞いと比べて、身体のシステム全体が受け取る情報、印象、そして身体全体にかかっている力の分布図が随分違います。

身体はそのどの部分に何が起こっても、常に全体で補います。どの部分がどれ程の度合いで補いの仕事をするかは、その人の既に持ったパターンや、各部にどれだけの自由度があるかによって、異なった補い方が為されるでしょう。

そういう見方をすれば、一つの症状、例えば膝痛を見ても、その人の身体全体がどの様に膝痛を演出しているかは百人百様なのです。

膝だけを見て、軟骨が減っているとか、靭帯が伸びているとか、固まっているとかでは、身体が全体として何をしているかは分かりません。

それなのに痛みがあるからと膝だけを扱ったのでは、それによって膝以外の部分が整ってくれる可能性は薄いです。確かに膝自体にかかっていた負担を取り除けば一時的には痛みは軽減します。そして、もし身体全体で、相互に新たな位置関係を見出して、変わった膝の部分が変わったままでいれる様にサポートできる順応性と、新たな動作の出来る運動神経の柔軟性が身体にあればれば、膝痛の無いバランスを見つけられるかも知れません。

その為には体全体を見通して、その中での膝の置かれた状況を考慮する必要があります。構造的、解剖学的には誰でも似た様な膝は膝ですが、全体を見通して、その人の固有の膝のストーリーを見つけ出さなくては、本当の意味での膝への助けはできません。

負担や痛みを感じている主役が何処であっても、痛みを訴えているのが何であっても、身体全体が共演者として、身体の全部分が一役担って初めて、主役が主役を演じられる環境が整う、と言う事を理解せずには、何をしようとも一時凌ぎにしかならず、遅かれ早かれその痛んだ部分は周りから求められる負担を担わされ、痛みが戻ってしまいます。

ロルフィングは10回のセッションで、その回ごとに、異なる視点から最終的に私達ロルファーが構造の統合 ( Structural Integration ) と呼ぶ状態を目指します。それは、私達がロルフラインと呼ぶ重力のライン; 大地に向かう垂直なラインであり、身体の各部分にかかる重力( 重さとして実感される) のラインを総計したベクトルであり、身体の中心を通るラインとして見出される正中線、その周りでの、安定的かつ微妙なバランス状態と、その統一的なラインの周りで、 身体全体がオーケストラとしての調和的働きを示す事を探求します。身体全体をオーケストラに見立てると、各部位がそれぞれの楽器として、自分の持ち場でなすべき仕事をこなしつつ、かつそれが全体の調和のために相互に釣り合いの取れた働きをする事を、統合と考えています。重力の正中ラインが指揮者となるのです。

フェルデンクライス

猫背でも仰向けが学べるフェルデンクライスの個人セッション


フェルデンクライスは自己の有効活用の術を身体の動作を基に見出していくワークです。

身体の今あるままの状態で、より可能なオプション、そしてより良い使い方を見つけるのです。身体そのものを変えるのではなく、自分の身体の認知し方、動かし方を変えられる様に、延いては自分自信が持っている自己イメージをより広い情報を基に書き換える様に、知覚神経、運動神経、を介して脳に新たな選択を問うワークです。

身体の動きを喩えとして、心身の選択能力、順応力が養われます。自分の動きの辛さや軽やかさは、常に無言の情報として脳に伝わっています。

つまり貴方の日常動作は今の貴方が、貴方であると認知する様に、一挙手一投足、自己暗示として貴方の脳に囁き続けているのです。

例えば、意識には上ってなくとも、歩く度に、私の膝には負担がかかっている、私の膝には負担がかかっている、と一歩毎に歩く度に脳に膝痛情報を与え続けて歩いている事を考えてみて下さい。

これでは膝が痛くならない訳にはいきません。何しろ無言の暗示が常に脳に囁き続けられるのですから。

ある意味フェルデンクライスは常に脳に与え続けられている自己暗示を、より良い暗示へと変える術を模索するのです。

ロルフィングが身体の構造に働きかけるのに対し、フェルデンクライスは機能に働きかけ、機能的統合( Functional Integration ) を探求します。

構造がハードウェアとすれば、機能はソフトウェアです。パソコンで喩えると、パソコンの機械自体はそのまま、スペックはそのままで、省エネソフトをインストールする事で、元のスペックの何倍もの働きを発揮し得ると考えて貰えばフェルデンクライスとロルフィングとの違いが判って頂けると思います。

ロルフィングは機械自体の構造を修正して、スペックを上げる感じですが、フェルデンクライスは脳に働きかけるとは言え、脳組織に対する施術ではなく、脳に記録されたソフトを上書きすると考えても良いかも知れません。

身体を媒体として働きかけるのですが、肉体に対する働きかけと言うより、身体にまつわる感覚、フィーリング、思考に働きかけると言った方が良いでしょう。ボディーワークと言うよりマインドワークなのです。

マインドが身体感覚を元により良い選択を理解した結果、身体の使い方が変われば、その新たな使われ方により、身体の構造に力のかかり方や重さのかかり方の変化を起こします。結果として日々の新陳代謝の働きの中で、細胞が新たに入れ替わる際に、微妙にそれまでとは異なる位置、形が要求されます。そして、時と共に身体の形態( 構造 )その物も変化します。

機能という事に於いても、フェルデンクライスの機能は身体の動きそのものを機能とするよりも、日常生活、社会生活における行動としての表れを機能として解釈しています。実生活の中で、人生の舵を取っていく上で、如何に自分を有効に運用して行くのかが、機能的統合の課題となります。 

フェルデンクライスではATM(アウェアネス スルー ムーブメント)と呼ばれる、プラクティショナーの指示に基いて自分で動作を行って、自分の動き方、動ける範囲、自由度などを知覚しながら様々な動作を探求する事で、障害になっている動きの癖、感覚の癖、感情の癖、思考の癖に出会いながら、新たな選択肢を見つけ出して行くことを繰り返すうちに自己を拡げていき、自己イメージも書き換えられていくワークと、FI (ファンクショナル インテグレーション) と呼ばれる、プラクティショナーの手技的操作によって、受け手の人の身体の形、位置、動きなどを探求しながら、新たな可能性を模索していくワークがあります。    

クレニオワーク

石頭を水に帰す クレニオワークの個人セッション


クレニオワークは私達に備わる自然治癒力が、日常の生命維持の働き、新陳代謝と同じものであることを前提として、日常の生活を過ごすのと同じほど当たり前の出来事としての治癒をサポートするワークです。

病は私達の生理的な働きの一部です。受胎した瞬間から始まる胚子の発達、胎児の成長の働き、そして、生まれてからも続く、日々の食物の消化、同化、異化、排泄、を通じた新陳代謝による成長と発達、又は生きている間中行われているホメオスタシス(恒常性の維持)、それらの働きは総て共通の、命の働きなのです。

ホメオスタシスとして、日々の身体全体の調和的働きを調節している面と、調和を崩して日々の調節では間に合わなくなった状態( 病気)からの回復作業と、どちらも同じ働きの一面と言えるでしょう。つまり、病気はホメオスタシスの一面なのです。

病気になる前から、又は罹った後でも、身体は常に全体の調和的バランスに向かっています。しかしながら、現代社会に洗脳された私達は、病気が自然に治って当然とは思えなくなっています。

命が日々、自己を継続している神秘を、当たり前の事として気にも止めずにいながら、病気が治る事は特別で、特別な手段(医師、薬品、その他) に頼らない限り治癒しないと想いがちです。

私達がこうして生きている奇跡に比べたら、病気が癒える事など、日々の生きる働きの、ほんの一面に過ぎない事である筈なのに。自然に治癒されて然るべき症状が、そうならないのは、何かが継続的に調和を妨げ続けているに違いありません。

様々な原因から来る、肉体に害をもたらす緊張、感情に害をもたらす緊張、思考に害をもたらす緊張、言い換えると、身体の偏った思い込み、感情の偏った思い込み、思考の偏った思い込み、そしてそれらの不調和を解決する柔軟性を欠いているのです。

その様な状態と言うのは、自分の中で継続的に、バランスを取り戻す事への抵抗を続けている筈です。

病気の外因(ウイルス、バクテリア、薬物、その他毒性のもの)と考えられる対象に、外的な対処を施す事は助けになるけれども、自然治癒力が調和的に為すべき働きを発揮できるための手助けとは言い難い物が多いです。

外的障害を受けて、回復が遅かったり、二次的な障害を引き起こしたりする事も私達の生き方そのものが、身体の回復の仕方に沿わない事をしているのです。

クニオワークは身体の中で既に働いている、調和的バランスに向かおうとする方向に沿って、肉体、感情、思考のにある命の働きを阻害する要因が、解消され、健全なる調和が、現れるべくして現れる様にサポートします。

サポートする施術者は、100%サポートに徹するほど、効果があります。この技術は術者の能力で治癒を起こすと言う類のものではありません。何故なら病んでいる本人の無意識、潜在意識以上に術者がその人の事を知る術が無いからです。

どう治っていくのか、何が必要なのかを知るのは施術者ではなく、クライアント本人なのです。そして治癒の力は、日常の生命維持する力があれば十分な筈なのです。しかし、その力が発揮されるのを阻害したり、誤った生命力の使い方をしていたり、その為のエネルギー漏れがあったり、今の状態を維持する為にエネルギーの浪費を余儀なくされ、余剰が無かったりで、なかなか治癒に至らない状態に陥っています。

術者は出来る限りクライアントの中で既に働いている治癒活動に沿って、それにシンクロし、その働きの場を広げる事で治癒活動を促進するのです。それは治療者の、技術の高さを誇示しようとする様な自己顕示欲の無い所でこそ、より純粋に奇跡を起こします。

私達があまりに当たり前で、取るに足ら無い事のように看做している、日常の生命維持と同じ類いの奇跡を。

或いは治癒は日常の生活と同じほど当たり前の現象として捉えられるかもしれません。

多くの人は直ちに治癒されたいのです。待て無いのです。しかし、身体の代謝は1日に1日分しか行われません。1日に100日分の代謝をしたら、寿命は1/100になってしまうでしょう。

治癒する邪魔者を除けは、日々の生活の中で、生活のリズムに沿って自然に癒されるのです。中には日々の代謝のペースを度外視した、その場で直ちに癒されると言う形の奇跡もある事でしょう。ここではその類の奇跡は神の思し召しでもない限り、期待できません。

しかし、生きていく上では、相変わらず日々の奇跡が起こり続けなくてはならないのです。


エソテリック ヒーリング

輪廻の輪から自由になる第一歩はパーソナリティーの統合

エソテリック ヒーリングは、アリス ベイリー女史がチベットのアセンデッドマスター ジュアル クールからのテレパシーによって伝えられた論文集の中に口述されている技術を、ブレンダ ジョンストン女史を代表とするグループ(後のINEH) によって、実践的な応用法として確立されたものです。

肉体全体にのエーテルエネルギーの流れと分配が滞り無く循環していれば病は起こらないとされています。このエネルギーを中継するセンターがメジャーセンター(チャクラ)、マイナーセンター等で、それらを経由してエーテル臓器(肉体臓器の鋳型の様なもの)へとエネルギーの周波数が物質レベルでの具現化へと向かいます。

肉体は、このエネルギー体に沿って、地球物質を材料に具現化、物質化したものです。

エソテリックヒーリングでは、肉体/エーテル体の他に、アストラル(感情)体、メンタル(思考)体、の3つの体が個人のパーソナリティーを構成していると考えています。パーソナリティー(個性)は、この世で自分に与えられた固有の特徴です。

事故や外的要因によるエーテル体/肉体の乱れ(エーテル体)、持続したネガティブな感情や感情的ショック(アストラル体)、囚われた思考、刷り込まれた固定観念(メンタル体)、等がパーソナリティーの3体の調和を乱し、病の因になります。

エソテリックヒーリングでは、主にエーテルエネルギーの調整を通じて、この3重のパーソナリティーを調和、統合させる事の手助けをします。

先ず、施術者が存在の大本からの繋がりを意識する事、受け手のハートのチャクラと自己のハートのチャクラがコミュニケーションをとっている事、受け手の魂から自分の魂へヒーリングの指示が伝わってくる事の設定を行います。

ヒーリングはこの設定が純粋に、乱れなく、為されている事が鍵になります。

施術者は、少し離れた所から受け手の体には触れずに、エネルギーの調節を行います。

施術者の役割は、自分の知識、感覚、知覚能力、思考能力をその場の設定に委ねて、受け手の魂の計画に基づいたヒーリングが起きる様に任せる事です。

受け手の3つの体が統合されて来ると、その人自身が魂との繋がりを強め、魂が自己の人生の指標となって行きます。

その過程で、魂の計画に無い病は 剥がれ落ちて行きます。